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第18話 鈴凪の想い

Author: 釜瑪秋摩
last update Last Updated: 2025-08-06 20:21:09

 それから私は、毎日のように見送りや出迎えをすることにした。理玖の優しい瞳も、胸の中を温かい気持ちにさせてくれて、安心感を与えてくれている。

 僅かずつではあるけれど、近づいているような気がしていた。

 ただ、まだ会話を交わすことは少ない。

 顔を合わせるタイミングも、食事のときくらいしかないからだった。それでも、朝晩に顔を合わせるたび、日に日に理玖の表情が和らいでいるように見えて、私は幸せな気持ちを味わっている。

 両親を亡くし、親戚と呼べるような身内もいない中、父の事業の借金だけが残って途方に暮れていた数年間……。ずっと一人だったことが、嘘のように思えるほど、この朝霞邸で私は良くしてもらっている。不満などはありようがないけれど、疑問は常に付きまとい、それを知りたいと感じる欲求も強くなるばかり……。

 生活に関する疑問や気になったことは、理玖も華も、他の使用人たちも、すぐに答えてくれるけれど、契約に関することや、この屋敷で不思議に感じることとなると、彼らの口は一様に重くなる。

 そして、口を揃えて言う。

 いずれ話す時が来る、今は待って欲しい――と。

 この日、夕食の時間に理玖が口を開いた。

「鈴凪さん。三日後に、椿京の霞月楼かげつろうで椿京の各企業の方々との会合があります」

「はい」

「その席に、私と共に出席をしていただきたいのです」

「えっ……」

 霞月楼と言えば、椿京で一番大きな社交場だったはず……。

 そんな場に出ることもあるのかと思うと、私は緊張で顔が強張ってしまった。

「そう緊張なさらずとも……堅苦しい場ではありませんから。私が結婚をしたということを周知する意味で、一緒に来ていただきたいのです」

「ですが……私のような者が、大丈夫なのでしょうか?」

 理玖と華が互いに視線を交わし、優し気に微笑んだ。

「私から見て、鈴凪さんに問題があるとは思えま

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